マニアック高校野球

高校野球のマニアックなエピソードを掲載

過去の知られざる特別な試合

戦時中の幻の甲子園(1942年夏)

1941年夏の高校野球選手権は日中戦争により予選の途中で中止、そして第二次世界大戦により1946年夏まで高校野球は開催されなかった。1942年春から1946年春までは回数もカウントされず。2018年の高校野球選手権が第1回大会から104年目でありながら100回大会だったのはそのためである。
だが1942年夏に一度だけ文部省(現文部科学省)とその外郭団体である大日本学徒体育振興会の主催で開催された「幻の甲子園」があった。主催した文部省が拒否したため高校野球選手権大会の公式記録には認められず、大会回数としてもカウントされておらず、そのためこの大会で優勝した徳島商も優勝回数にカウントされていない。
高野連の記録には残らないこの幻の甲子園だが、是非取り上げるべき試合が2試合あったので紹介したい。

1つは準々決勝の広島商-仙台一中。スコアは広島商28-10仙台一中で、28点は当時の甲子園最多得点(1984年まで)、両軍38得点は1985年夏のPL学園29-7東海大山形を上回り現在でも甲子園最多記録、さらに1イニング17点も1923年夏の立命館-台北一中の3回の14点を上回り甲子園最多記録だ。だがこれらの最多記録も全国高校野球選手権大会の記録としては認められていない。
もう1つは決勝の徳島商-平安。試合は逆転に次ぐ逆転となり、2-1で平安中が1点リードの7回裏に徳島商が一挙5点を取って逆転。しかし直後の8回表に平安中が4点差を追いついて同点、6-6で延長戦にもつれこむ。延長11回表、平安中が1点を勝ち越し優勝に近づく。しかし11回裏、平安中の富樫淳投手は連投の疲れと肩痛で制球を乱し、2アウト1塁からまさかの4連続四球。2者連続押し出しで徳島商が8-7の逆転サヨナラ勝ちで優勝した。
延長戦の激闘の末徳島商の再々逆転勝ちと、幻にするにはもったいない大熱戦の決勝戦だった。決勝戦でサヨナラ押し出し四死球は春夏通じて後にも先にもこの試合のみ。公式の甲子園大会ではまだ決勝戦でのサヨナラ押し出しによる決着は1度もない。

仙台一中 003 002 320=10
広 島 商 300 301 174X=28
(1942年夏準々決勝)
平安中 100 001 040 01 =7
徳島商 010 000 500 02X=8
(1942年夏決勝)

明治神宮大会代表決定戦(1979年~1993年)

各地区の秋季大会王者が集う明治神宮大会高校の部。大学野球の全国大会として1971年に明治神宮大会大学の部が開始し、3年後の1974年から高校の部が開設された。春と夏の甲子園大会より注目度も重要性も低いが、秋からの新チームで最初の全国での経験と腕試しの場として位置付けられている。
しかしかつては一部の地区では秋季大会優勝校(翌年の選抜も当確)ではなく、県大会で敗退(選抜絶望)した学校が出場していた。また1998年までは出場校が8校で、北海道と東北、中国と四国は交互に1年おきにしか出場できなかった。
全地区が秋季大会優勝校を代表校として送るようになったのは1996年から、明治神宮大会が現在のように10地区の秋季大会優勝校が集う大会になったのは1999年からと、意外に歴史が浅いのだ。

過去の明治神宮大会の出場校選出基準はこのホームページにある。関東・東海・近畿・中国・四国は1995年まで秋季地区大会に出場できなかった県大会最上位校が明治神宮大会に出場していた。どの県の最上位校を選出するかは各県の持ち回りというパターンがほとんどであったが、東海では各県の惜しくも東海大会出場を逃した秋季県大会最上位校(1980年までは3位、1981年からは4位)の4校によるトーナメント、明治神宮大会出場校決定戦を実施していた。また中国も1987年と1988年の2回のみ同様のトーナメントを行っていた。
今やお目にかかれない稀少な大会、明治神宮大会代表決定戦。上記のページとこのページにこのトーナメントの全試合のスコアが掲載されている。残念ながらほとんどの試合でランニングスコアは確認できず、そのためこの中に注目すべき名勝負があるかどうかも発見できなかった。そんな中あえて取り上げるなら1980年の明治神宮大会代表決定戦だろう。
この年秋季県大会3位で惜しくも東海大会出場を逃してこのトーナメント大会に回った出場校は、静岡、愛知、三重、県岐阜商の4校。なんと4校中3校が都道府県名そのまんまの校名という珍しい顔ぶれ。愛知高校以外の3校は甲子園優勝経験があるという甲子園全国大会にも負けないハイレベルな顔ぶれとなった。静岡と愛知が1回戦を突破し、神宮大会出場をかけた決勝は7回日没コールドで静岡が勝利。
決勝戦が日没コールドというのは普通だったら考えられないことだが、当時は神宮大会がそれほど重要な大会ではなかったということだろう。1試合しかない決勝が7回で日没ということは、おそらく準決勝(1回戦)とダブルヘッダーで行われたのだろうと推測できる。

1回戦
愛知4-3県岐阜商
静岡5-3三重


決勝
愛 知 100 020 30= 6
静 岡 014 030 2X=10
(7回日没コールド)
(1980年神宮東海代表決定戦)

今となっては誰にも知られていない忘れられた大会だが、このようなトーナメント大会が行われていたことは残しておきたい。

選抜王者vs出場辞退の優勝候補 最強を決める頂上決戦(2006年 横浜-駒大苫小牧)

2005年夏の甲子園で57年ぶりの選手権連覇を達成した駒大苫小牧は、秋の国体も優勝。さらに新チームになってからの明治神宮大会も優勝した。練習試合を含め無敗で、圧倒的な優勝候補として2006年春の選抜に乗り込むはずだったが、卒業した部員の飲酒により出場辞退を余儀なくされた。
本命不在となった選抜は横浜がエース川角をはじめとした投手陣と強力な打線で勝ち進み、決勝戦最多得点の21-0で清峰に大勝し、8年ぶりの優勝を果たした。しかし選抜は横浜が優勝したものの、真の最強チームは駒大苫小牧だという声が後を絶たなかった。

蛇足だが選抜高校野球の開幕直前にワールド・ベースボール・クラシックの第1回大会が行なわれ、日本代表が見事優勝したが、日本と3試合対戦して2勝1敗で勝ち越し、準決勝で日本に敗れるまで全勝だった韓国が真の最強チームであるという声が日本でも多かった。
また同じく選抜前に行なわれたトリノオリンピックの女子フィギュアスケート競技グランプリファイナル覇者の浅田真央選手(当時15歳)が年齢制限により出場できなかったために、日本のマスコミを中心にこのオリンピックを「敗者復活戦」と揶揄する声もあった(しかし結果的に金メダルを獲得したのが同じ日本の荒川静香選手であったため、浅田真央の方が上だという意見はその後なくなっている)。事情は異なるものだが、まさに時同じくして高校野球でもどちらが最強であるかの争いが起こった。

そんな中で、1956年に創立し50周年を迎えた光星学院が、八戸市に横浜と駒大苫小牧を招いて総当りの記念試合を行なうことを決めた。いわゆる両校の間で真の最強を決める戦い、全国の高校野球ファンが待ち望んだ頂上対決が実現したのである。また光星学院の4番坂本は駒大苫小牧のエース田中と小学校時代のチームメイトだったため、2人にとっては元チームメイトとの対決も実現した。
記念大会はまず光星学院-横浜の試合が行なわれ11-5で横浜が勝利、続いて光星学院-駒大苫小牧は6回に駒大苫小牧が2点を取って逆転した直後に濃霧によりコールドゲームとなり、4-3で駒大苫小牧の勝利となった。
どっちが最強チームなのか雌雄を決する横浜-駒大苫小牧の頂上対決は翌日行なわれた。3回に横浜が3点を先制。9回表に駒大苫小牧が本間のタイムリーで2点を返したが、横浜が逃げ切り3-2で勝利した。横浜の福田主将が「絶対に勝ちたかった」と話しており、非公式試合でこれほど熱かった対決は他にないだろう。記念試合大会の最終順位は、1位が2勝0敗の横浜、2位が1勝1敗の駒大苫小牧、3位が0勝2敗の光星学院となった。

駒大苫小牧 000 000 002=2
横      浜 003 000 00X=3

同年の選手権は横浜と駒大苫小牧が優勝候補の「2強」とされ、直接対決が期待された。しかし横浜は1回戦で大阪桐蔭に6-11で敗れ、史上初の2度目の春夏連覇の夢は潰えた。
73年ぶりの夏3連覇を目指す駒大苫小牧は3回戦で青森山田に最大6点をリードされる試合があったものの執念の逆転サヨナラ勝ちで乗り切り、3年連続の決勝進出。一方選抜準々決勝で横浜に大敗した早稲田実が横浜のいたブロックを勝ち上がり、決勝で駒大苫小牧と対戦した。
決勝戦は駒大苫小牧・田中将大と早稲田実・斎藤佑樹の投げ合いで延長15回でも決着つかず、37年ぶりの引き分け再試合に。再試合は早稲田実が序盤からリード、9回に駒大苫小牧の中澤の2ランホームランで1点差まで追い上げるも、最後は斎藤が田中を三振に打ち取り、1点差で逃げ切って、早稲田実が夏の甲子園初優勝。のちにプロ野球で多くの名選手を輩出した「ハンカチ世代」が出場した2006年夏の甲子園は2000年代最高の大会と言われている。

高校野球ジンクス

西暦末尾4の年は県勢初優勝が出る?

2014年まで一部の高校野球ファンに知られていたジンクス。それは「西暦の末尾(1の位)が4の年の夏の甲子園は、都道府県勢初優勝が出る」というものである。
1984年夏は木内幸男監督率いる取手二が決勝であの清原和博、桑田真澄のKKコンビを擁するPL学園を延長戦の末8ー4で破り、茨城県勢初優勝。栃木の作新学院を抜いて当時最東端の甲子園優勝校にもなった。
1994年夏は序盤から波乱が続出し、全くノーマークの佐賀商が決勝進出。樟南との九州対決の決勝戦は9回表に決勝戦史上初の満塁ホームランで佐賀商が4点を勝ち越し、劇的勝利で佐賀県勢初優勝。
2004年夏はこれまたノーマークの駒大苫小牧が日大三、横浜といった強豪を次々撃破し、決勝では春夏連覇を狙う選抜王者の済美に打撃戦の末逆転勝利。北海道勢初優勝を達成し、深紅の大優勝旗が初めて津軽海峡を越えた。
1984年の10年前の1974年夏は銚子商が優勝。これは県勢初優勝ではなかったが、その10年前の1964年は高知が高知県勢初優勝していた。戦前には1924年夏に広島商が広島県勢ならびに中国勢初優勝を達成していた。つまり1924年から2004年まで、戦時中で開催されなかった1944年を除き末尾4の年は8大会中5大会で都道府県勢初優勝が出ていた。
また1974年夏の銚子商も学校としては初優勝だったため、末尾4の年は5大会連続で初優勝が出ていたことになる。

2014年夏の甲子園ではこのジンクスが大会前から話題になり、今度はどこの県が初優勝するか話題になった。ついに東北勢初優勝か、いや新潟・北陸だ、今年は近江が強そうだから滋賀だ、などなど。
その中でもこの年史上最強のチームと言われたのが、2009年夏準優勝の日本文理。秋と春の北信越大会を秋春連覇し、明治神宮大会では決勝でも中盤まで8点差をリードしての準優勝。春の甲子園では初戦で敗退したがベスト4の豊川に延長13回の善戦。迎えた夏の甲子園は優勝候補のダークホースにも挙げられていた。
ベスト8に優勝経験がない県が4校(青森・福島・新潟・福井)、ベスト4に2校(新潟・福井)残ったときはいよいよ県勢初優勝マニアがわくわくした。ベスト4に残ったのは強打の敦賀気比と優勝候補にあげられていた日本文理。
しかしこのジンクスはあっさり破れた。日本文理、敦賀気比ともに準決勝で敗れ、未優勝県はベスト4で全滅した。決勝は大阪桐蔭と三重という県としても学校としても優勝経験校同士の対戦となり、大阪桐蔭が2年ぶり4回目の優勝。2014年は県勢初優勝は出なかった。

都道府県勢初優勝が出たのは末尾4の年だけではないが、ここに都道府県勢初優勝が出た年を春夏ともにリストにした。

都道府県勢初優勝が出た大会・夏
No.大会校名決勝戦備考
1915年 第1回 京都二中(京都) 2x-1秋田中(延長13回)
1916年 第2回 慶応普通部(東京) 6-2市岡中 慶応は現在は神奈川所在
1917年 第3回 愛知一中(愛知) 1-0関西学院中
1919年 第5回 神戸一中(兵庫) 7-4長野師範
1921年 第7回 和歌山中(和歌山) 16-4京都一商
1924年 第10回 広島商(広島) 3-0松本商 この年から選抜大会開始
1925年 第11回 高松商(香川) 5-3早稲田実
1926年 第12回 静岡中(静岡) 2-1大連商
10 1928年 第14回 松本商(長野) 3-1平安中 北信越勢初・史上唯一の夏優勝
10 1935年 第21回 松山商(愛媛) 5-1育英商
11 1936年 第22回 岐阜商(岐阜) 9-1平安中
12 1946年 第28回 浪華商(大阪) 2-0京都二中
13 13 1947年 第29回 小倉中(福岡) 6-3岐阜商 九州勢初優勝
14 15 1949年 第31回 湘南(神奈川) 5-3岐阜 関東勢33年ぶりの優勝
15 16 1955年 第37回 四日市(三重) 4-1坂出商
16 18 1958年 第40回 柳井(山口) 7-0徳島商
17 1962年 第44回 作新学院(栃木) 1-0久留米商 史上初の春夏連覇
18 20 1964年 第46回 高知(高知) 2-0早鞆
19 23 1967年 第49回 習志野(千葉) 7-1広陵
20 1972年 第54回 津久見(大分) 3-1柳井
21 1982年 第64回 池田(徳島) 12-2広島商
22 25 1984年 第66回 取手二(茨城) 8-4PL学園(延長10回)
23 26 1986年 第68回 天理(奈良) 3-2松山商
24 27 1994年 第76回 佐賀商(佐賀) 8-4樟南 決勝戦初の満塁ホームラン
25 30 1999年 第81回 桐生第一(群馬) 14-1岡山理大付
26 31 2004年 第86回 駒大苫小牧(北海道) 13-10済美 北海道勢初優勝・津軽海峡越え
27 2010年 第92回 興南(沖縄) 13-1興南
28 2017年 第99回 花咲徳栄(埼玉) 14-4広陵
29 34 2022年 第104回 仙台育英(宮城) 8-1下関国際 東北勢初優勝・白河の関越え
青地は春夏通じて初優勝、赤地は春夏通じて地区勢初優勝

都道府県勢初優勝が出た大会・春
No.大会校名決勝戦備考
1924年 第1回 高松商(香川) 2-0早稲田実
1925年 第2回 松山商(愛媛) 3-2高松商
1926年 第3回 広陵中(広島) 7-0松本商
1927年 第4回 和歌山中(和歌山) 8-3広陵中
1928年 第5回 関西学院中(兵庫) 2-1和歌山中
11 1933年 第10回 岐阜商(岐阜) 1-0明石中
1934年 第11回 東邦商(愛知) 2-1浪華商
12 1937年 第14回 浪華商(大阪) 2-0中京商
14 1947年 第19回 徳島商(徳島) 3-1小倉中
10 1948年 第20回 京都一商(京都) 1-0京都二商 京都勢同士の決勝戦
11 1950年 第22回 韮山(静岡) 4-1高知商
12 1954年 第26回 飯田長姫(長野) 1-0小倉
13 1957年 第29回 早稲田実(東京) 5-3高知商 関東勢初の選抜優勝
14 17 1958年 第30回 済々黌(熊本) 7-1中京商
15 1961年 第33回 法政二(神奈川) 3-1広島商 夏春連覇
16 19 1962年 第34回 作新学院(栃木) 1-0日大三 史上初の春夏連覇
17 1963年 第35回 下関商(山口) 10-0北海
18 21 1965年 第37回 岡山東商(岡山) 2-1市和歌山商
19 22 1967年 第39回 津久見(大分) 2-1高知
20 24 1968年 第40回 大宮工(埼玉) 3-2尾道商
21 1969年 第41回 三重(三重) 12-0堀越
22 1975年 第47回 高知(高知) 10-5東海大相模
23 28 1996年 第68回 鹿児島実(鹿児島) 6-3智弁和歌山
24 1997年 第69回 天理(奈良) 4-1中京大中京
25 29 1999年 第71回 沖縄尚学(沖縄) 7-2水戸商 優勝旗海越え
26 2001年 第73回 常総学院(茨城) 7-6仙台育英
27 32 2009年 第81回 清峰(長崎) 1-0花巻東
28 33 2015年 第87回 敦賀気比(福井) 3-1東海大四 北陸勢初・北信越勢61年ぶりの優勝
29 35 2023年 第95回 山梨学院(山梨) 7-3報徳学園
30 2024年 第86回 健大高崎(群馬) 3-2報徳学園
青地は春夏通じて初優勝、赤地は春夏通じて地区勢初優勝

なぜここまで「末尾4の年のジンクス」が注目されたのか。上記のリストを見ると確かに県勢初優勝が出た年は末尾4の年が多いことがわかる。だがそれだけでなく、1984年以降の末尾4の年の初優勝は、ただの県勢初優勝ではなくインパクトが絶大だったことがあげられる。
1984年の取手二はKKコンビを擁するPL学園を延長戦で破っての初優勝。1994年はノーマークの佐賀商が決勝戦初の満塁ホームランでミラクル初優勝。2004年は深紅の大優勝旗が白河の関どころか津軽海峡まで越える駒大苫小牧の北海道勢初優勝。優勝校の最北端を栃木の作新学院から大幅に更新し、さらに甲子園史上最高のチーム打率.448も記録した。
このような末尾4の年の都道府県勢初優勝はただの県勢初優勝ではなく、非常に印象に残る初優勝ばかりだったことが「西暦の末尾が4の年は都道府県勢初優勝が出る」というジンクスを高校野球ファンに印象付けたのだろう。
また駒大苫小牧が優勝した2004年は2ちゃんねるやYahoo掲示板といったネット掲示板の全盛期だったことも要因する。ネットではこういうジンクスにまつわる話は拡散されやすい。
こうして次の末尾4の年である2014年の夏の甲子園は、優勝なしの県の高校野球ファンと県勢初優勝マニアが満を持して期待した年になったのだ。だが良いジンクスは意識し始めた瞬間に敗れるというジンクスもある。2014年は残念ながら県勢初優勝は出なかった。
だが県勢初優勝は次の2015年春の選抜で出た。前年夏ベスト4の経験者が多く残り、優勝候補として乗り込んだ敦賀気比が前年夏に続いて準決勝で大阪桐蔭と対戦。なんと松本の2打席連続ホームランなどで大阪桐蔭に11-0の大勝でリベンジに成功。決勝で8回裏に松本の決勝2ランで東海大四に3-1で劇的勝利。春夏通じて福井県勢初、北陸勢初、北信越勢61年ぶりの甲子園優勝を達成した。
夏の甲子園での春夏通じての県勢初優勝は2004年の駒大苫小牧以降なかなか出なかったが、2022年についにそのときが来た。仙台育英が悲願の東北勢初優勝を達成。ついに9地区すべてに優勝旗が渡った。

過去の意外な対戦成績

頂上決戦5連敗 平安が中京に勝てない不思議

甲子園で複数回対戦した同一カードの対戦成績を調べてみると、おやっ?と首を傾げたくなるような対戦がある。
それは愛知の中京大中京(旧中京商→中京)と京都の龍谷大平安(旧平安中→平安)の対戦成績。 ともに戦前から甲子園に出場している両校は1932年春の1回戦から始まり、1933年夏には決勝で戦うなど5回の対戦があるが、龍谷大平安は1度も勝ったことがない。
中京大中京は春夏通算133勝(春55勝・夏78勝 全国1位)・春夏通算59回出場(春31回・夏28回 全国2位)・優勝11回(春4回・夏7回)、龍谷大平安は春夏通算103勝(春42勝・夏61勝 全国2位)・春夏通算75回出場(春41回・夏34回 全国1位)・優勝4回(春1回・夏3回)という、春夏通算勝利数と出場回数の1位と2位、春夏通算最多勝利校と最多出場校、さらには2018年時点で2校しかない甲子園通算100勝を達成している2校による超名門校同士のまさに「頂上決戦」でありながら、両校の対戦成績が大きく偏っていて、中京大中京が全勝しているというのは意外だ。
中京大中京対龍谷大平安の対戦回数5回は、広陵対中京大中京の7回(広陵の5勝2敗)、広陵対松商学園の6回(広陵の5勝1敗)に次いで、大体大浪商対中京大中京(大体大浪商の4勝1敗)、中京大中京対県岐阜商(中京大中京の4勝1敗)と並ぶ3位タイの対戦回数だが、過去甲子園で5回以上対戦したカードで片方の学校が全勝しているのはこのカードだけである。
5回のうち4回の対戦は中京の全盛期だった戦前から1950年代まで。2009年夏は初戦で50年ぶり5度目の対戦が実現し、中京大中京が5連勝。平安に勝利した中京はそのまま勝ち上がり43年ぶり7回目の優勝を達成。初戦で優勝校と当たらなければ上位進出の可能性もあっただけに、中京との対戦成績も重なってこの年の龍谷大平安はなんとも不運であった。

1932年春1回戦 平  安  中 ●1-3 中  京  商 ベスト4
1933年夏決勝 平  安  中 ●1-2 中  京  商 優  勝
1937年春準々決勝 平  安  中 ●0-2 中  京  商 準優勝
1959年春2回戦 平      安 ●2-5 中  京  商 優  勝
2009年夏1回戦 龍谷大平安 ●1-5 中京大中京 優  勝

平安にツキがないのは、両校が対戦した5回のすべてで中京はベスト4以上に進出し、そのうち3回(1933年夏・1959年春・2009年夏)で優勝している強いチームだったことだ(1932年春はベスト4、1937年春は準優勝)。特に1933年夏はご覧のように決勝戦で対戦している。中京商はこの試合で夏の甲子園3連覇を達成。甲子園史上唯一の選手権3連覇を決めた試合の相手が皮肉にも平安だった。
逆に平安の4回の優勝(1928年夏、1951年夏、1956年夏、2014年春)のときは中京との対戦はなく、そのうち1956年夏以外はその大会に中京は出場していない。平安が準優勝した1997年夏、好投手服部を擁して春ベスト8・夏ベスト16に進出した2003年春夏、平安が記念すべき甲子園春夏通算100勝目をあげた2018年夏の100回記念大会も中京は出場していなかった。
ちなみにその代わりと言ってはなんだが、2003年春の3回戦で平安は岐阜の中京に3-2で勝利。隣県にある中京違いの中京高校には勝つことができた。


現在5連敗、平安のもう1つの天敵埼玉県勢
平安は中京の他に松山商にも4回対戦しながら4連敗を喫している。ただし4回のうち3回の対戦は戦前で、戦後の対戦は2001年夏の準々決勝 松山商4-3平安 の1回に留まっている。
そして平安にはもう1つ苦手とする相手がいる。それは埼玉県勢である。埼玉県対京都府の甲子園での対戦は13回あるが、京都府は4勝9敗と大きく負け越している。13回のうちの11回は平安が対戦し、平安の対埼玉県勢は3勝8敗、1974年夏の2回戦で上尾に延長13回サヨナラ勝ちして以来勝利がなく、現在5連敗を喫している。
京都府勢としても2000年春の1回戦で鳥羽が埼玉栄に7-2で勝利したのを最後に、21世紀以降埼玉県勢に4連敗している。

1980年春の1回戦は6年前に延長サヨナラ勝ちした因縁の上尾と対戦し、1-2で上尾にリベンジを許した。
22年ぶりに埼玉県勢と対戦した2002年春は好投手高塚を擁して、2年生エース須永を擁する浦和学院と対戦。前評判では有利だったが1-7の完敗。
2008年春は3回戦で鹿児島工と延長15回引き分け再試合の激闘を制してベスト8進出。準々決勝の相手は実績では格下の埼玉の聖望学園だったが、鹿児島工戦と連戦、4日間で延長15回を含む3試合を戦うことになってしまった平安に準々決勝を勝つ力は残っていなかった。聖望学園に0-8でまさかの大敗。聖望学園はこの大会で初の決勝進出を果たした。
2014年春の選抜で優勝し、史上8校目の春夏連覇を目指して乗り込んだ2014夏の甲子園は、開幕戦に登場し春日部共栄と対戦。しかしエース高橋の先発を回避した投手起用が裏目に出て初回にまさかの5失点。高橋と中田が2回以降を無失点に抑えるも初回の5点差を跳ね返すことはできず1-5で敗れ、史上初の選抜優勝校が開幕戦で敗退する珍事になってしまった。
選抜連覇を狙った翌2015年春は初戦で一昨年の優勝校浦和学院と対戦。直近2年の選抜王者同士の好カード、さらには平安にとっては2002年春のリベンジマッチとなった。試合は下馬評通りのハイレベルな投手戦で0-0のまま延長戦へ、迎えた延長11回表に2点を勝ち越され0-2の惜敗。またしても埼玉県勢に敗れ、平安の対埼玉県勢の試合は5連敗となった。

1951年夏決勝 平      安 ◯7-4 熊      谷
1966年春2回戦 平      安 ◯5-4 大      宮
1968年夏準々決勝 平      安 ●1-2 大  宮  工
1970年夏2回戦 平      安 ●12-13x
(延長10回)
熊  谷  商
1974年夏2回戦 平      安 ◯5x-4
(延長13回)
上      尾
1980年春1回戦 平      安 ●1-2 上      尾
2002年春1回戦 平      安 ●1-7 浦 和 学 院
2008年春準々決勝 平      安 ●0-8 聖 望 学 園
2014年夏1回戦 龍谷大平安 ●1-5 春日部共栄
2015年春1回戦 龍谷大平安 ●0-2
(延長11回)
浦 和 学 院
備考
1992年夏1回戦 東      山 ●1-5 浦 和 学 院
2000年春1回戦 鳥      羽 ◯7-2 埼  玉  栄


屈辱の9戦全敗 和歌山県勢が鹿児島県勢に勝てない不思議

都道府県別の過去の対戦成績を調べてみると、おやっ?と首を傾げたくなるような対戦がある。それは和歌山県勢対鹿児島県勢の対戦成績。1957年夏の和歌山中-鹿児島商から始まり、1996年春には決勝で戦うなど9回の対戦があるが、和歌山県勢は1度も勝ったことがない(ただし引き分けが1回あり、1952年夏の海南-鹿児島商が延長11回日没引き分け)。
和歌山県は春夏通算235勝(全国5位)・優勝13回(全国4位)と戦前から高校野球界をリードしてきた強豪県だ。鹿児島県は春夏通算99勝(全国27位)・優勝1回(1996年春の鹿児島実のみ。夏はまだ優勝なし)と、実績では和歌山が大きくリードしていながら両県の対戦は全くの真逆で、鹿児島が全勝しているのは不思議だ。
過去8回以上対戦した都道府県別カードで、片方の都道府県が全勝しているのはこの鹿児島対和歌山と、愛知対島根(愛知の10戦全勝)のみしかない。そのうち鹿児島対和歌山は甲子園での実績が下回る方の県が全勝しているという、都道府県別対戦成績で最も不思議な勝敗戦績であり、まさに高校野球の七不思議の1つと言える。

1996年春、鹿児島実が鹿児島県勢初優勝を決めた決勝戦の相手が奇しくも智弁和歌山で、しかもこの大会鹿児島実は1回戦でも和歌山県勢の伊都に勝利しており、和歌山県勢から2勝をあげていた。
2014年夏の鹿屋中央-市和歌山は、「まさかの珍事・珍プレー」で書いたように延長12回、一打サヨナラの場面で市和歌山のセカンドがなぜか1塁に送球するミスで鹿屋中央がサヨナラ勝ちという衝撃の結末だった。そして一番最近の対戦となった2023年夏も神村学園が市和歌山に11-1とこの対戦成績を象徴するような大差で大勝。時代が令和に変わっても和歌山は鹿児島に勝つことはできず、これで9連敗となった。

ただ対戦戦績をよく見てみると、9回の対戦のうち智弁和歌山は2回、和歌山中(現桐蔭)は1回のみで、箕島と向陽は鹿児島県勢とは対戦したことがない。1996年春の智弁和歌山は前年夏に6回目の出場で甲子園初勝利をあげたばかりのまだ実績の少ない学校だった。つまり和歌山の甲子園優勝経験校が鹿児島県勢と対戦したのは2回しかなく、和歌山が誇る強豪校が鹿児島と対戦した回数が少ないことがこの対戦成績の原因の1つであり、和歌山にとっての救いである。

1927年夏1回戦 和 歌 山 中 ●0-8 鹿 児 島 商 ベスト8
1952年春2回戦 海      南 △4-4
(延長11回)
●0-6
鹿 児 島 商 ベスト8
1993年春2回戦 南      部 ●2-4 鹿児島商工 ベスト8
1996年春1回戦 伊      都 ●1-2 鹿 児 島 実 優 勝
1996年春決勝 智弁和歌山 ●3-6 鹿 児 島 実 優 勝
2005年春2回戦 市和歌山商 ●3-5 神 村 学 園 準優勝
2012年夏2回戦 智弁和歌山 ●2-3 神 村 学 園
2014年夏1回戦 市 和 歌 山 ●1-2x
(延長12回)
鹿 屋 中 央
2023年夏2回戦 市 和 歌 山 ●1-11 神 村 学 園 ベスト4

東京都勢が岐阜県勢に勝てない不思議

そして和歌山県勢対鹿児島県勢と並んで都道府県別対戦成績の七不思議といえるのが東京都勢対岐阜県勢の対戦。1956年夏の早稲田実-岐阜商から始まり、2007年春には準決勝で戦うなど6回の対戦があるが、東京都勢は1度も勝ったことがない。
東京都は春夏通算306勝(全国3位)・優勝12回(全国5位)に対して、岐阜県は春夏通算141勝(全国13位)・優勝4回。岐阜も通算勝利数では強い部類に入るが、戦後は岐阜県勢の優勝はなく、実績では東京が大きくリードしていながら両都県の対戦は岐阜が全勝している。
6敗の内訳は、春夏通算66勝(全国9位)・優勝2回の早稲田実が2敗、春夏通算51勝(全国19位)・優勝3回の帝京が2敗と、東京が誇る強豪2校が挑みながら屈辱の全敗を喫している。しかも岐阜の全盛期は戦前であるのに対し、6回全て戦後に対戦、21世紀以降にも3回対戦していながら岐阜が全勝しているのである。

昭和時代の3度の対戦はいずれも岐阜県勢が大差で勝利。平成及び21世紀初対戦となった2007年春。この年の帝京は1回戦の小城戦で20奪三振を記録したエース大田阿斗里を中心とした投手陣と強力打線を兼ね備えて優勝候補にあげられ、圧倒的な強さでベスト4まで勝ち上がってきた。そして準決勝で対戦したのが希望枠で初出場ながらベスト4まで進出してきた大垣日大。前評判では帝京が圧倒的に有利だったが、2回戦の市川戦で太田が負傷し、不安を抱えていた投手陣が限界に達してしまった。4-5の惜敗で大垣日大が希望枠初の決勝進出を決めた。またこの結果により2007年春は初の東海勢同士の決勝戦が決定した。
大垣日大はその年の夏にも春夏連続出場を果たし、2回戦で(帝京とは反対の西東京だが)またも東京の創価と対戦。この試合は下馬評通り順当に大垣日大が勝利した。

6度目の対戦となった2009年夏。3年生のエース平原、2年生の鈴木、山崎康晃(のち横浜DeNAベイスターズ入り)、そして3回戦の九州国際大付戦で1年生最速の147km/hを記録したスーパー1年生伊藤拓郎の4人の投手陣で、この年の帝京も優勝候補にあげられた。準々決勝で31年ぶりにベスト8に進出し、45年ぶりのベスト4進出を狙う古豪県岐阜商と対戦。前評判は勿論帝京が有利だったが、帝京は2006年夏・2007年夏の2度準々決勝でサヨナラ負けをしているという鬼門のラウンドで、さらに東京都勢は岐阜県勢に5連敗という嫌なジンクス。
その悪い予感は当たってしまい、先発の平原が初回に2失点、3回に伊藤がまさかの4失点。5回に2点を返すも3-6で県岐阜商に敗れ、岐阜県勢に屈辱の6連敗目。奇しくも龍谷大平安が中京大中京に5連敗を喫したのと同じ大会で、東京都勢は岐阜県勢に6連敗を喫した。

1956年夏2回戦 早 稲 田 実 ●1-8 岐  阜  商 準優勝
1959年春1回戦 日  大  二 ●0-9 岐  阜  商 準優勝
1975年夏1回戦 早 稲 田 実 ●0-5 中  京  商 ベスト8
2007年春準決勝 帝      京 ●4-5 大 垣 日 大 準優勝
2007年夏2回戦 創      価 ●3-5 大 垣 日 大 ベスト8
2009年夏準々決勝 帝      京 ●3-6 県 岐 阜 商 ベスト4

東京都にツキがないのは、中京対平安と同様に対戦したすべてで岐阜県勢はベスト8以上に進出し、そのうち3回(1956年夏・1959年春・2007年春)で準優勝していることだ。岐阜は戦後は甲子園優勝経験がなく、春夏4回の準優勝が戦後の最高成績。その4回の準優勝のうちの3回で東京都勢に勝って決勝まで進出していた。東京としてはこのデータはまさに不運としか言いようがない。
逆に早稲田実の2回の優勝(1957年春・2006年夏)、帝京の3回の優勝(1989年夏・1992年春・1995年夏)、日大三の3回の優勝(1971年春・2001年夏・2011年夏)のときや、決勝戦が東京同士の対戦となった1972年春は岐阜県勢との対戦はなかった。
とはいえ都道府県別の過去の対戦成績など、「高校野球大百科」の「高校野球各都道府県の県別対戦詳細」のページを見なければ知り得ないことであり、ほとんどの東京都民にとってはどうでもいいことではある。

昭和以降9連敗 東京都勢は愛媛県勢に勝てない

東京にはもう1つ苦手とする都道府県がある。それは愛媛県勢である。
東京都勢対愛媛県勢の対戦は延長16回の激闘となった1920年夏準決勝の慶応普通部-松山商から始まり、2015年春の二松学舎大付-松山東で11回目の対戦。最初の2回は東京都勢が勝利していたが、それ以降は愛媛県勢が9連勝し、愛媛県の9勝2敗となった。
東京都の2勝はともに大正時代であったため、東京都は昭和以降愛媛県に未勝利の9連敗という対岐阜県勢以上の不名誉な記録を背負ってしまった。9敗の内訳は早稲田実が2敗、春夏通算54勝(全国18位)・優勝3回の日大三が2敗とこちらも東京が誇る強豪2校が挑みながら屈辱の9連敗を喫した。愛媛県は春夏通算187勝(全国9位)・甲子園勝率.599(全国5位)・優勝10回(全国8位)の強豪県だが、東京都もこれに匹敵する強豪地区だ。
昭和以降の9回の対戦のうち1回が準決勝、3回が準々決勝と上位で対戦も多いことは特筆される。つまりこちらも対戦したときの愛媛県勢は好成績をあげていることが多く、優勝が2回(1953年夏・1996年夏)、準優勝が1回(1932年夏)、ベスト4が2回(1962年夏・1977年夏)ある。

平成に入ってからは対戦する機会が少なかったが、2006年夏に名投手斎藤佑樹を擁して夏の甲子園優勝を果たした早稲田実が準々決勝で今治西と対戦する可能性があった。しかし3回戦で今治西が日大山形に延長13回逆転サヨナラ負けに終わってしまい、対戦は幻となった。もしこのとき愛媛県勢と対戦できていれば勝てていた可能性が高かったと思われる。
19年ぶり・21世紀初の対戦となった2015年春、秋季東京大会準優勝の二松学舎大付と21世紀枠の松山東が対戦した。前評判は一般枠の二松学舎大付が有利であったがまたしても東京が愛媛に勝てないジンクスが襲った。
中盤まで点の取り合いとなり、4-4で迎えた7回、松山東にレフト前タイムリーで1点を勝ち越されこれが決勝点。4-5の惜敗で21世紀枠相手でも敗れ屈辱の9連敗目を喫した。

1920年夏準決勝 慶応普通部 ◯4x-3
(延長16回)
松山商
1924年春1回戦 早 稲 田 実 ◯3-2 松山商
1932年夏準々決勝 早 稲 田 実 ●0-8 松山商 準優勝
1953年夏準決勝 明      治 ●0-2 松山商 優 勝
1962年夏準々決勝 日  大  三 ●4-6 西 条 ベスト4
1968年春1回戦 日  大  三 ●1-3 今治西
1973年夏1回戦 日  大  一 ●1-7 今治西
1977年夏準々決勝 早 稲 田 実 ●1-11 今治西 ベスト4
1981年夏2回戦 国学院久我山 ●2-3 今治西
1996年夏2回戦 東海大菅生 ●5-6 松山商 優 勝
2015年春1回戦 二松学舎大付 ●4-5 松山東
2015年夏1回戦 早 稲 田 実 ◯6-0 今治西

屈辱の9連敗からわずか5ヶ月後、同年の夏の甲子園でついに東京都勢が愛媛県勢に勝利する瞬間が来た。2015年夏、スーパー1年生清宮幸太郎が入学して甲子園出場を決めた早稲田実。初戦の相手は嫌な愛媛県勢の今治西。学校としても1977年夏の準々決勝で早稲田実は今治西に1-11で大敗していた因縁の相手だ。
試合前にはまたも嫌な予感を感じた東京の高校野球ファンもいたが、この年の早稲田実に過去の対戦も悪いジンクスも無縁だった。初回に金子のタイムリーなどで3点を先制し、7回に清宮のタイムリーなどで3点を追加、守っては今治西を完封。6-0の快勝で愛媛県勢に91年ぶりの勝利を決め、学校としても今治西に38年前のリベンジを果たした。
スーパーの1年生清宮が東京の不名誉な記録を吹き飛ばし、ついに昭和初期から続いた連敗記録に終止符が打たれた。

奈良県勢の対神奈川県勢11連敗の軌跡

かつて片方の県が未勝利の最多対戦カードとして知られていたのが神奈川県対奈良県の対戦である。2010年まで神奈川の11戦全勝。優勝経験3回の天理が3敗、智弁学園が4敗、郡山が2敗と奈良が誇る3強が挑みながら11連敗を喫していた。
2011年夏、この不名誉な連敗記録についに終止符が打たれるときがきた。2011年夏の甲子園3回戦で智弁学園は春夏連続出場の強豪横浜と対戦。8回まで1-4とリードされ敗色濃厚、またしても奈良が敗れ12連敗かと誰もが思った9回、大量8点をあげる大逆転劇が待っていた。
これまでの屈辱を晴らす世紀の逆転劇で、ついに奈良県勢が神奈川県勢から初勝利をあげた。またこの大逆転劇は新たな連敗記録のスタートでもあった。
これにより片方の都道府県が全勝している最多対戦カードは、愛知県対島根県(愛知の10戦全勝)になった。

1960年夏1回戦 御 所 工 ●3-14 法 政 二 優 勝
1963年夏準々決勝 高 田 商 ●1-2x
(延長10回)
横   浜 ベスト4
1966年夏2回戦 郡   山 ●2-6 横 浜 一 商 ベスト8
1974年春1回戦 御 所 工 ●0-7 横   浜
1980年夏準決勝 天   理 ●1-3 横   浜 優 勝
1982年夏1回戦 智 弁 学 園 ●2-3 法 政 二
1987年夏2回戦 天   理 ●0-1 横 浜 商
1992年春準決勝 天   理 ●2-3 東海大相模 準優勝
1998年春準々決勝 郡   山 ●0-4 横   浜 優  勝
1999年夏2回戦 智 弁 学 園 ●5-9 桐 蔭 学 園 ベスト8
2001年春2回戦 智 弁 学 園 ●2-5 桐 光 学 園
2011年夏3回戦 智 弁 学 園 ○9-4 横   浜

全国ナンバー1の強豪にも天敵 中京が広陵に弱い不思議

甲子園春夏通算勝利数全国最多(133勝・春55勝・夏78勝)、春夏通算出場回数全国2位(59回・春31回・夏28回)、優勝回数全国最多(11回・春4回・夏7回)、史上唯一の夏の選手権3連覇の経験もある超名門校の中京大中京(旧中京商→中京)は、平安と5回対戦し5戦全勝、松商学園と6回対戦し5勝1敗、県岐阜商と5回対戦し4勝1敗、松山商と4回対戦し3勝1敗と、多くの名門校との甲子園複数回対戦カードのほとんどでも大きく勝ち越している。
しかし全国トップの超強豪校である中京にも苦手とする学校がある。中京大中京対広陵の対戦は1931年夏の準々決勝から始まり、甲子園史上最多の7回。その対戦成績は1931年の初対戦は中京商が勝利したが、中京商から校名が変わってから1968年以降の4回の対戦は広陵が4連勝。中京大中京2勝に対し広陵5勝と広陵が大きく勝ち越している。

昭和及び20世紀の対戦成績は仲良く2勝2敗。34年ぶり・平成及び21世紀初の対戦となった2002年春、中京大中京は深町・中根の2枚看板の投手陣を擁して優勝も狙える戦力があったが、広陵の2年生エース西村に抑え込まれ0-4の完封負け。ちなみに広陵は翌2003年の選抜で優勝し、西村は優勝投手になっている。
前年夏に43年ぶりの甲子園優勝し、夏春連覇を狙って乗り込んだ2010年春は準々決勝で有原を擁する広陵に1-5で完敗。6度目の対戦となった因縁の相手に夏春連覇を阻まれた。
好投手磯村と強力打線を兼ね備えて、優勝候補の一角にあげられた2017年夏は、初戦で広陵と甲子園史上最多の7回目の対戦。ちなみに両校は春の対戦が続いていたため夏の甲子園での対戦は意外にも初対戦の1931年以来86年ぶりだった。中京大中京は1961年からこの年まで夏の甲子園の初戦17連勝を記録していて、広陵から半世紀ぶりの勝利の絶好のチャンス。
3回に伊藤の2ランホームランで先制、5回まで磯村が無失点に抑え2-0とリードし、夏の初戦18連勝と対広陵戦59年ぶりの勝利を引き寄せる。しかし6回、投手交代が裏目に出た。代わった直後中村奨成のホームランで1点を返されると、高田のレフト前タイムリーで同点。再び投手交代した直後大橋のセンター前タイムリーで一気に逆転される。さらに7回に佐藤の2ランホームランなどで3点を追加され、8回に中村のこの日2本目となる2ランホームランで10得点。9回に3点を返すも6-10の完敗で、1959年以来夏の甲子園58年ぶりの初戦敗退、対広陵戦4連敗となった。広陵は続く2回戦で3季連続ベスト4の優勝候補秀岳館を撃破しこの大会準優勝。中村は1985年夏の清原和博を抜いて歴代最多の1大会6ホームランの記録を樹立した。

上の例と同じく中京に勝ったときの広陵は好成績をあげていることが多く1935年春と2017年夏は準優勝、2010年春はベスト4。さらに平成時代に対戦した3回はいずれも広陵に西村健太朗(2003年ドラフト2位・2003年選抜優勝投手)、有原航平(2014年ドラフト1位・2013年東京六大学野球最優秀防御率・2019年パリーグ最多勝利)、中村奨成(2017年ドラフト1位・高校野球選手権1大会最多ホームラン)といった、のちにドラフト上位指名を受けプロ野球でも主力となった選手がいたことも中京にツキがないとこだ。
また中京商が勝利した2回もその大会で中京商は優勝(1931年夏)と準優勝(1958年春)しており、広陵対中京の対戦の勝者は7回中5回ベスト4以上、4回決勝まで進出しているのだ。

1931年夏準々決勝 優  勝 中  京  商 ◯5-3 広陵中
1935年春準々決勝
中  京  商 ●3-7 広陵中 準優勝
1958年春1回戦 準優勝 中 京 商 ◯3-1 広 陵
1968年春1回戦
中      京 ●1-3 広 陵 ベスト8
2002年春1回戦
中      京 ●0-4 広 陵
2010年春準々決勝
中京大中京 ●1-5 広 陵 ベスト4
2017年夏1回戦
中京大中京 ●6-10 広 陵 準優勝

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