ウラ優勝校(1978~2000年)

1978年(昭和53年):羽村(西東京)
PL学園3-2高知商4-0岡山東商6-5豊見城4-1東筑1-0日大二
(日東京大会)日大二15-10東大和5-3小金井工1-0桐朋2-0桜美林10-2武蔵丘4-1武蔵工大付4-3羽村

1979年(昭和54年):琴平(香川)
箕島4-3池田2-0浪商10-0比叡山6-1前橋工5-3明野5-4高松商
(香川大会)高松商2-0高松南4-2高松東6-5高松一12-5多度津工7-0琴平

1980年(昭和55年):青谷(鳥取)
横浜6-4早稲田実8-0瀬田工20-5浜松商6-4東北7-0習志野2-1倉吉北
(鳥取大会)倉吉北5-1鳥取西5-4米子東3-0鳥取城北5-2青谷

1981年(昭和56年):国東(大分)
報徳学園2-0京都商1-0鎮西7-0都城商2-1岡谷工5-2津久見
(大分大会)津久見4-2中津工7-4別府青山3-2杵築3-1佐伯鶴城3-2国東

この年のウラ優勝校だった国東は、その2年後の昭和58年夏に県大会決勝まで進出し、その後も上位に進出する強豪になった。

1982年(昭和57年):津島(愛媛)
池田12-2広島商1-0中京5-1津久見3-2佐賀商5-1東農大二7-2川之江
(愛媛大会)川之江3-0今治西3-1新田10-2三瓶6-1中山2-0東温1-0津島

1983年(昭和58年):津和野(島根)
PL学園3-0横浜商12-2久留米商6-3岐阜第一5-0印旛3-1大田
(島根大会)大田5-3大社10-0三刀屋5-4江の川16-1松江北6-4津和野

鹿足郡津和野町にある県立高校。その後平成2年夏に甲子園初出場を果たした。

1984年(昭和59年):芦別商(北北海道)
取手二8-4PL学園3-2金足農6-0新潟南4-2明徳義塾6-0広尾
(北北海道大会)広尾4-3旭川大高2-0帯広三条4-0深川西11-2深川東商1-0砂川北5-4滝川西5-0芦別商

芦別市にあった商業高校。1988年に統合で芦別総合技術となり、2006年に閉校した。

1985年(昭和60年):自彊(広島)
PL学園4-3宇部商7-6東海大甲府8-7関東一4-0日立一4-0広島工
(広島大会)広島工3-1広陵15-2崇徳5-1盈進5-4安芸府中5-1呉高専9-0自彊

PL学園が優勝しKKコンビが有終の美を飾った1985年のウラ優勝校は広島の自彊。難読校名で、読み方は「じきょう」である。

1986年(昭和61年):春江工(福井)
天理3-2松山商14-3浦和学院4-0高知商2-1享栄2-1東海大甲府6-3福井商
(福井大会)福井商6-3若狭7-5北陸10-3福井9-3丸岡3-2春江工

福井の工業高校。平成24年の秋季北信越大会で優勝し、平成25年春に甲子園初出場を果たした。

1987年(昭和62年):大崎(広島)
PL学園5-2常総学院2-1東亜学園3-0北嵯峨3-2東海大山形9-7県岐阜商2-0広島商
(広島大会)広島商3-2広島工5-0大門3-0福山工9-2尾道工4-3広島電大付5-0大崎

PL学園が2年ぶりの優勝で春夏連覇を達成した昭和62年は、こちらも2年ぶりに広島県勢がウラ優勝校になった。大崎は現在「大崎海星」という校名に変更している。

1988年(昭和63年):一関高専(岩手)
福岡第一1-0広島商4-2浦和市立7-3宇部商4-2東海大甲府5-3滝川二9-3高田
(岩手大会)高田4-1釜石工6-1水沢7-3専大北上13-0福岡工7-5雫石5-4一関高専

唯一となる高等専門学校のウラ優勝校。なお一関高専はこの僅か2年後にウラ優勝校メーカーも経験する。

1989年(平成元年):気賀(静岡)
帝京2-0仙台育英3-2尽誠学園4-0倉敷商11-1吉田3-1熊本工13-4日大三島
(静岡大会)日大三島9-8長泉3-2浜北西6-4静岡6-0森4-3静岡市商4-0横須賀5-2気賀

平成最初のウラ優勝校は静岡の気賀。ウラ優勝メーカーには「横須賀」という紛らわしい校名も存在する。
ちなみに日大三島はこの年が唯一の夏の甲子園出場で(春は昭和59年に出場)、また長泉が県大会決勝に進出したのもこの年のみ。長泉は2度目の決勝進出を果たせないまま平成20年に閉校した。

1990年(平成2年):伊保内(岩手)
天理1-0沖縄水産6-1山陽4-2日大鶴ヶ丘5-3徳島商5-2済々黌7-5花巻東
(岩手大会)花巻東4-0花北商1-0麻生一関6-3一関商工8-0一関工6-5専大北上7-0一関高専5-1伊保内

2年前に続いて岩手が逆トーナメントを制覇し、伊保内がウラ優勝校になった。同じ県が3年間で2回ウラ優勝になったのは昭和60年・62年の広島以来。
注目すべきは対戦相手、いわゆるウラ優勝メーカーが2年前のウラ優勝校一関高専だったことだ。僅か2年で同じ県からウラ優勝校が出るのも珍しいが、3年間でウラ優勝校とウラ優勝メーカーを経験するという珍記録であった。

1991年(平成3年):宮城工(宮城)
大阪桐蔭13-8沖縄水産7-6鹿児島実7-3市川2-0我孫子6-3西条農4-3東北
(宮城大会)東北5-2利府3-0東陵2-0仙台工8-1気仙沼6-0白石4-0石巻5-4宮城工

1991年のウラ優勝校は宮城県にある工業高校。昭和57年に県大会ベスト4まで進出。平成以降にも4回戦進出が5回ある。

1992年(平成4年):巻農(新潟)
西日本短大付1-0拓大紅陵5-4尽誠学園5-0広島工8-0明徳義塾3-2星稜11-0長岡向陵
(新潟大会)長岡向陵2-1新潟南5-0北越4-3新潟明訓9-2見附8-1新潟西5-1新潟7-0巻農

初戦でいきなり優勝候補星稜との対戦になった長岡向陵は、4番の強打者松井に2点タイムリーツーベースを打たれるなど11失点で大敗。星稜は続く2回戦で社会問題にもなった明徳義塾の松井全打席敬遠により敗戦。明徳義塾は3回戦では球場全体からの野次で普段の力が出せないまま広島工に大敗し、相手校がことごとく敗れた。
長岡向陵は松井と真っ向勝負したことが評価されたものの、その代償としてウラ優勝校を新潟に送り込む形になってしまった。結果的に巻農業が高校野球史上最も荒れた大会のウラ優勝校になった。また県内でナンバー1の進学校新潟高がウラ優勝メーカーになっている。

1993年(平成5年):佐久間(静岡)
育英3-2春日部共栄5-3常総学院6-3小林西5-4高知商4-2掛川西
(静岡大会)掛川西4-2静岡商7-3桐陽4-2静岡西2-1静岡3-2焼津中央3-2沼津東10-0佐久間

1994年(平成6年):南陽工(山口)
佐賀商8-4樟南10-2柳ヶ浦6-5仙台育英6-5北陽10-2市川4-2光
(山口大会)光1-0下関中央工4-1西京4-3岩国工9-0柳井8-3聖光5-4南陽工

この校名を見て驚いた方もいるだろう。春夏計7回甲子園に出場し、最高でベスト8の経験もある山口の南陽工業がこの年は県大会初戦敗退に終わり、それどころか甲子園決勝まで相手校は次々敗れてウラ優勝校となってしまった。
甲子園出場経験校がウラ優勝校になったのは49代表制になって以降初である。ただし1983年のウラ優勝校津和野はのちの1990年夏に甲子園に出場している。 本来このような場所で取り上げる存在ではない強豪校であるが、各都道府県大会別のウラ優勝校を調べてみると甲子園出場経験校も多い。2009年夏には同年の選抜出場校で大本命だった開星や、2007年の甲子園優勝校佐賀北がまさかの初戦敗退に終わり、それぞれ県別のウラ優勝校となった。
この年の南陽工は全国大会も通じた逆トーナメント制覇校となったのである。ちなみに翌年以降5年連続で山口大会ベスト8以上に進出している。 とにかく表裏2冠達成に最も近い学校であるだろう。

1995年(平成7年):矢板東(栃木)
帝京3-1星稜3-1智弁学園8-6PL学園10-5日大藤沢4-3観音寺中央8-6宇都宮学園
(栃木大会)宇都宮学園6-1作新学院2-1宇都宮南2-1栃木南2-0足利3-0上三川8-0矢板東

矢板東は1972年に創立された県北部の進学校。偏差値56はウラ優勝校の中で最高である。サッカー部に全国大会出場経験がある。平成15年夏に県大会ベスト8まで進出。またホームページが存在する。→リンク集

1996年(平成8年):学法松栄(福島)
松山商6-3熊本工3-2前橋工2-1海星7-6仙台育英6-2天理6-0日大東北
(福島大会)日大東北6-0勿来工6-3須賀川5-3学法石川8-1田村8-5川俣12-0学法松栄

奇跡のバックホームに沸いた1996年のウラ優勝校は学校法人末栄。49代表になって初の私立高校のウラ優勝校である。 「学法」は学校法人の略で省略することもある。同じ県にある甲子園常連校の学法石川とは無関係。部員不足のためか、平成10年夏を最後に予選に出場していない。

1997年(平成9年):泉南(大阪)
智弁和歌山6-3平安3-0前橋工5-4敦賀気比11-0専大北上2-1履正社
(大阪大会)履正社2-1関大一2-1関西創価10-0城東工12-8大阪学院大6-5太成11-3高槻5-4泉南

全国屈指の激戦区大阪の代表校がこの年は初戦敗退(9回裏にホームスチールを仕掛ける作戦が裏目に出た)、逆トーナメント制覇しウラ優勝校になった。 泉南は2005年に「学校経営革新プロジェクト」の研究指定校に選ばれた府立校で、2009年に砂川と統合してりんくう翔南高校となっている。

1998年(平成10年):上対馬(長崎)
横浜3-0京都成章6-1豊田大谷4-3浜田3-2帝京4-1長崎日大
(長崎大会)長崎日大4-1諫早8-6西海学園3-2波佐見3-1松浦4-2野母崎5-4上対馬

松坂率いる横浜が春夏連覇した80回記念大会は、予選でも122点の記録的大差となった東奥義塾-深浦(青森大会)、終盤2イニングで12点差を逆転した名寄-稚内(北北海道大会)、逆転・再逆転の大乱戦となった金足農-秋田商(秋田大会決勝)などが話題になった。
そんな中で離島の対馬にある上対馬がこの年のウラ優勝校となった。夏の県大会での勝利は平成7年の長崎工戦のみである。

1999年(平成11年):三瓶(愛媛)
桐生第一14-1岡山理大付5-4智弁和歌山7-2柏陵6-0旭川実4-1新潟明訓10-5宇和島東
(愛媛大会) 宇和島東10-5西条8-2松山商18-15新居浜西10-8新居浜東6-1松山北10-9三瓶

1000年代最後のウラ優勝校は愛媛の三瓶。「みかめ」と読む。内野手の塀内久雄が同年のドラフトで千葉ロッテマリーンズに4位で指名され、プロでも好成績をあげている。ウラ優勝校から初のプロ選手誕生である。明徳義塾の馬渕監督もこの学校の出身。
チームとしては昭和57年・平成2年・平成3年に県大会ベスト8に進出、21世紀に入ってからは4回の3回戦進出がある。
対戦相手(ウラ優勝メーカー)の松山北は甲子園出場経験校で、こちらものちに阪神タイガースに入団した筒井和也がいた。本来ならウラ優勝とは無縁の「好カード」だったかもしれない。
ちなみに三瓶(さんぺい)という姓は東北地方によくあり、平成22年夏の甲子園に出場した仙台育英と聖光学院はそれぞれ三瓶選手が勝利に貢献した。

2000年(平成12年):青谷(鳥取)
智弁和歌山11-6東海大浦安10-7育英8-7長崎日大6-2徳島商11-6仙台育英7-1米子商
(鳥取大会)米子商5-2由良育英7-5倉吉北7-0倉吉西7-3青谷

20世紀最後のウラ優勝校は20年ぶりに加盟校が全国最少の鳥取へ。
19805年のウラ優勝校青谷がなんと2度目のウラ優勝全国制覇を達成した。冒頭にも書いたように、ウラ優勝校はあくまで偶然のことで、自力でとれるものではない。それが20年の間があるものの、2度もウラ優勝校になるというのは前人未到の快挙(?)であろう。

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