選抜迷選考集 九州編

センバツの選考には戦績や品位の他に、人口が多く政治力が高い都道府県を優遇する選考も見られる。
九州では人口が群を抜いていて主催社の毎日新聞の購読者も多い福岡県は優遇されることが多く、昔から「福岡枠」というものが存在する。

高野連に最も愛された学校、小倉高校逆転選考集(1954年~1978年)

福岡でも特に優遇選考されることが多かったのが戦後直後に夏の甲子園連覇の経験もある伝統進学校の小倉。当落線上では毎回拾われ、圏外と思われる位置からでも逆転選考されている。

1953年秋季九州大会
決勝熊本工1-0済々黌
準決勝熊本工4-3小倉 済々黌5-0九州学院

当時の九州の選抜出場枠は2枠。決勝戦は1点差の接戦だったため普通なら決勝に進出した熊本工と済々黌が確実。ただともに熊本県で地域性に難があるが、済々黌は熊本有数の進学校。簡単には落としづらい学校のはずだが。

選考結果:熊本工、小倉

当時は地域性もかなり重視されていたこともあって小倉が逆転選考。新聞では「案外スムーズに出場校が決まった」と書かれたが、準優勝校を落として逆転選考してるんだからもう少し考えるべきだろ。
熊本大会決勝では済々黌が熊本工に勝っていたのだが。


1956年秋季九州大会
決勝久留米商5-4小倉
準決勝久留米商1-0大分舞鶴 小倉5-1日向学院

今度は小倉が同県対決の決勝で敗退。小倉は県大会に続いて久留米商に連敗し、3年前の済々黌より分が悪い状態。これは大分舞鶴が逆転選考する状況か。

選考結果:久留米商、小倉
今度は地域性は考慮されずすんなり福岡2校が選出。九州初の1県2校のアベック出場であった。3年前の済々黌との差はなんだったのか。


1965年秋季九州大会
決勝宮崎商3-2高鍋
準決勝宮崎商4-0大濠 高鍋6-2延岡商
準々決勝宮崎商1-0武雄 大濠10-6海星 高鍋7-0熊本二 延岡商3-1小倉

九州の出場枠は3枠になったが、小倉は準々決勝敗退。しかも小倉に勝った延岡商は続く準決勝敗退。さらに決勝が宮崎対決となったため、宮崎3校目になる延岡商は地域性で絶望的。
これはどう考えても小倉は圏外だろう。決勝進出の2校と、ベスト4の大濠か準々決勝で惜敗した武雄というのが妥当なところ。

選考結果:宮崎商、高鍋、小倉

なんと小倉が逆転選考。そして小倉に勝った延岡商は落選している。当時は地区大会の直接対決で負けたほうが選出、勝ったほうが落選というのもよくあったとは言え、大濠と延岡商の選手の心境は・・・。


1968年秋季九州大会
決勝宮崎商3-0博多工
準決勝宮崎商10-0鎮西 博多工5-3海星
2回戦宮崎商6-0鹿実川内 鎮西7-0小倉 博多工4-0佐世保工 海星3-1佐賀工

小倉初戦0-7の大敗。小倉は2回戦からの登場だったためこれが初戦だった。相手の鎮西は準決勝で大敗。
同じ福岡の博多工が決勝に進出しているため地域性でも厳しく、これは3枠は宮崎商、博多工、海星でほぼ決まりだろう。

選考結果:宮崎商、博多工、小倉

またしても小倉逆転選考。地域性も戦績も無視か。あまりにも理不尽だ。


1977年秋季九州大会
決勝豊見城4-0鹿児島商
準決勝豊見城7-2佐世保工 鹿児島商7-4柳川商
2回戦豊見城5-2小倉 佐世保工8-2延岡工 鹿児島商3-0九州学院 柳川商9-2長崎日大

九州の出場枠は4枠になった。準決勝でコールドがなければベスト4がそのまま選出されかと思いきや、対豊見城戦の負けが佐世保工より小倉のほうが点差が小さいとなればもはやどうなるか結果は見えている。

選考結果:宮崎商、博多工、小倉

九州4枠時代に準決勝でコールド負けしなかったのに落選したのは多分この年の佐世保工くらい。


1987年秋季九州大会
2回戦
:知念4-2小倉

九州大会の出場校が17校となった1987年の秋季九州大会で絶望的な初戦敗退。
相手の知念は準々決勝で津久見に2-9の完敗。さらに津久見は準決勝で福岡第一に負け、福岡第一は決勝で熊本工に敗れ、小倉逆トーナメント制覇。
過去何度も圏外から逆転選考されてきた小倉だったが・・・

選考結果:熊本工、福岡第一、津久見、柳川

今度は救われなかった。小倉、1967年以来20年ぶりの九州大会に出場しながら選抜落選。
その後翌1988年、1989年と3年連続で九州大会に出場するも3年連続初戦敗退。いずれも選抜には選出されず、小倉の時代が終わった。その後2015年まで秋季九州大会からは遠ざかる。

波佐見無情の落選(1987年)

1986年秋季九州大会
決勝西日本短大付3x-2海星
準決勝西日本短大付6-1熊本工 海星8-1波佐見(7回コールド)
準々決勝西日本短大付10-0鹿児島商
(5回コールド)
熊本工3x-2宮崎日大
(延長13回)
波佐見3x-2鹿屋中央
(延長12回)
海星6-5日向学院

波佐見
1回戦
:波佐見7-1佐賀西
2回戦:波佐見5-1常磐

鹿 屋 中 央 010 000 000 001 =2
波  佐  見 000 001 000 002X=3
(1986年秋季九州大会準々決勝)
波  佐  見 001 000 0 =1
海      星 104 001 2X=8
(1986年秋季九州大会準決勝)

波佐見が唯一の1回戦(地下1回戦)からの登場でベスト4まで勝ち上がり、準々決勝では延長12回を戦い、1回戦から準決勝まで4連戦の末準決勝で力尽きコールド負け。
コールド負けしたとは言え不利な1回戦からの登場で4連戦、他のチームより1試合戦っていて延長戦も戦って、そこから選出ラインのベスト4。連戦と延長戦の疲れもあったんだから、普通に波佐見を選んであげればいいのに。

選考結果:西日本短大付、海星、熊本工、日向学院

波佐見はコールド負けが響いて落選(キリッ)。これは無情すぎないか?延長12回含む4連戦の疲れを考慮してやれよ。
準々決勝敗退から逆転選考された日向学院は2回戦からの登場。日向学院は九州大会1勝、波佐見は九州大会3勝。2勝も多く勝ってるのに波佐見が落選したのは不満の声があった。
波佐見の落選は同じ長崎の海星に負けたという地域性も影響したようだ。そして波佐見もまたヤンチャ私立だったことも。その後地下1回戦から登場でベスト4に進出した学校の落選はない。

準々決勝大敗逆転選考事件(2000年 戸畑)

小倉高校以外にも不可解な福岡枠発動は多く見られる。

1987年秋季九州大会
決勝熊本工6-4福岡第一
準決勝熊本工13-4都城商(7回コールド) 福岡第一5-1津久見
準々決勝熊本工3-1柳川 津久見9-2知念 福岡第一8-0鹿児島商 都城商5-3諫早

選考結果:熊本工、福岡第一、津久見、柳川

九州の出場枠は4枠。例年ならベスト4の4校がそのまま選出されるが、準決勝でコールド負けすると落選することがある。
この年は都城商が準決勝で熊本工にコールド負けしたため落選し、ベスト8で熊本工に善戦した福岡の柳川が選出された。福岡第一が準優勝しているため地域性で柳川は不利なはずだが「福岡枠」は福岡が2校出場になっても発動する。


1999年秋季九州大会
決勝柳川17-3佐賀商
準決勝柳川8-0城北(7回コールド) 佐賀商5-2九州学院
準々決勝柳川5-1延岡学園 城北8-3佐世保実 佐賀商7-1波佐見 九州学院6-0戸畑

香月擁する柳川が圧倒的な強さで優勝した1999年の秋季九州大会。城北が準決勝で柳川にコールド負けし、同じ熊本の九州学院がベスト4に進出してるため地域性でも危うくなった。
しかし決勝では佐賀商が城北以上の点差で大敗。そうなると準優勝の佐賀商の落選はないにしても、その佐賀商に負けた九州学院のほうが危ういような。熊本大会では城北が勝利して城北が県1位、九州学院が県2位だし。
実際は柳川が強すぎるだけで、柳川の実力は全国トップクラスだし(2000年の甲子園で春夏連続でベスト8に進出し、夏は優勝した智弁和歌山に8回表まで4点リードとあと一歩まで追い詰めた)、普通にベスト4の4校を選出するのが無難なところ。
もしベスト8止まりの学校が逆転選考されるとしたらこのスコアだと延岡学園くらいしか思いつかない。
そんななか福岡県北部の伝統進学校、戸畑がベスト8に進出した。だが0-6のコールド寸前の完敗、しかも準決勝敗退で選出が微妙な九州学院に負けたのでは論外。同じ福岡の柳川がいるから地域性でも不利。こんな位置から逆転選考なんてありえないよね?これで選ばれたら伝説の小倉様並だぞ。

選考結果:柳川、佐賀商、九州学院、戸畑

なんと戸畑がまさかの逆転選考。小倉の再来か。戦績、地域性どれをとっても納得がいかない。いったいどんな選考理由があるのか。

選出理由:「戸畑は準々決勝で0-6で敗れたが、エースの横松が3連投という事情があった。一方城北は前日試合がなく日程が空いていたのに0-8のコールド負けだった。」

連戦での完敗はマイナスではないので選出、1日空いてのコールド負けはマイナスなので落選か。そんなことを考えるのに対戦相手は考慮しないのか。
熊本大会で城北に負け、決勝で城北以上の大敗をした佐賀商に負けた九州学院は問題なく選ばれてるし。九州学院に完敗した戸畑を選出するために九州学院までゴリ推した印象すらある。
城北も気の毒だが、優勝した柳川に一番善戦し事実上の準優勝校といえる延岡学園は補欠1位にも入れず補欠2位。延岡学園にとっても気に食わない選考になっただろう。
こうして「連投じゃなかったら大敗しなかった。真の実力なら善戦した」と評価していた横松の戸畑は、センバツでは四日市工に1-14の大敗。九州学院に大敗したのが真の実力だったと露呈し、高野連の目はフシアナだったことが判明した。

四日市工111 001 073=14
戸    畑010 000 000= 1
(2000年春)

逆転選考が招いたスパイ事件(2002年 福岡工大城東)

2001年秋季九州大会
決勝九州学院6-5樟南
準決勝九州学院11-4長崎南山(7回コールド) 樟南2-0延岡工
準々決勝九州学院7-0大分豊府 長崎南山3-2川内 樟南7-0東福岡 延岡工1x-0福岡工大城東

長崎南山 210 100 00 = 4
九州学院 010 006 04X=11
(2002年秋季九州大会)

長崎南山は準決勝でコールド負けしたが、上記のランニングスコアのように5回までは長崎南山がリードするなど中盤までは接戦であり、長崎南山の実力がそれほど劣っていたとは思えない。
それに勝った九州学院は決勝も勝利して優勝した。準々決勝で最も僅差で負けたのは福岡工大城東だが、相手の延岡工は準決勝で樟南に敗れ、さらに樟南も九州学院に敗れている。この戦績では福岡工大城東の実力が長崎南山より上回っているとは言い難い。
ベスト4の4校を無難に選出するのが妥当なはずだが・・・

選考結果:九州学院、樟南、延岡工、福岡工大城東

長崎南山はベスト4に進出し優勝した九州学院に中盤まで善戦していながら、コールド負けを理由に無念の落選。またしても福岡枠が発動した。
「優勝校に準決勝でコールド負けした学校」が落選し「準々決勝で準決勝敗退校に敗れた学校」が逆転選考されるというのはスコアは違うが1999年と同じシチュエーションではあった。1999年の戸畑ほどではないとはいえやはり釈然としない選考。九州における福岡の政治力は絶大だったのだろう。
そして準々決勝敗退ながら見事福岡枠で出場を果たした福岡工大城東だったが、手を差し伸べてくれた高野連の恩を仇で返す前代未聞の不祥事を起こす。

福岡工大城東は選抜1回戦で宇都宮工に延長11回の末6-5でサヨナラ勝ちしたが、この試合で野球部の副部長が相手の宇都宮工の投手の弱点などを記したメモをネット裏からボールボーイを通じてベンチに渡していたのだ。 ネット裏での福岡工大城東関係者の不審な行為に気付いた観客の通報によって発覚した。高校野球では試合中のベンチ外からの伝達行為は禁止している。これが有名な福岡工大城東のスパイ事件である。
疑惑の選考でセンバツに出場した上、それでつかんだ甲子園の舞台でこのような違反行為をした福岡工大城東。長崎南山の選手にとってはあまりにもやりきれない気持ちであっただろう。
その後は福岡の政治力は弱まったのか、この年以降福岡絡みの疑惑の選考は起きていない。ただ2018年夏の選手権100回記念大会では夏の甲子園にも「福岡枠」ができた。80回・90回記念大会で埼玉・千葉・神奈川・愛知・大阪・兵庫が2枠に増枠されていたが、100回記念大会では福岡も2枠に増枠されたのである。

準決勝ダブルコールド事件(2013年)

2011年秋季九州大会
決勝神村学園8-1九州学院
準決勝神村学園6-2別府青山 九州学院9-0創成館(7回コールド)
準々決勝神村学園7-6大分 別府青山3-2福岡工大城東 九州学院2-0宮崎西 創成館2-0情報科学

選考結果:神村学園、九州学院、別府青山、宮崎西  補欠:創成館、大分

2009年夏の長崎大会は惜しくも決勝で涙を呑み、甲子園初出場を狙う創成館は2011年の秋季九州大会で選出ラインのベスト4進出。
悲願の甲子園初出場をほぼ手中にしながら準決勝で九州学院に痛恨のコールド負け。準々決勝惜敗の宮崎西に逆転選考され無念の選抜落選となった(甲子園未出場校の九州大会ベスト4落選はこれが初だった)。
その後長崎大会を秋春連覇するも、2012年夏の長崎大会は準々決勝で瓊浦に惜敗し、またしても甲子園出場ならず。


2012年秋季九州大会
決勝沖縄尚学5-0済々黌
準決勝沖縄尚学8-1創成館(7回コールド) 済々黌8-0尚志館(7回コールド)
準々決勝沖縄尚学3-2熊本工
(延長10回)
創成館9-0久留米商
(7回コールド)
済々黌3-0宮崎日大 尚志館6-2長崎日大

雪辱に燃える創成館は、2012年の秋季九州大会で地下1回戦からのスタートになりながら2年連続のベスト4進出。今度こそ甲子園初出場を誓うも、まるで前年のプレイバックのようにまたしても準決勝コールド負け。
九州大会2年連続ベスト4で2年連続落選という史上初の珍事か?そうなったら長崎大会決勝敗退もあるから九州の霞ヶ浦誕生か?
と思った矢先、続く準決勝第2試合もコールドゲーム。なんと九州大会史上初の準決勝2試合ともコールドゲームというまさかの展開。

これは選抜選考が揉めないわけがなかった。2ちゃんねる高校野球板の九州スレは九州大会終了後から選抜選考会の11月~1月の間、10スレ消費する大激論となった。
準決勝コールド負けの創成館、尚志館と、準々決勝で決勝進出2校に惜敗した熊本工、宮崎日大の4校で2枠を争う大激戦。こんなに揉めさすなんて、まったく沖縄尚学と済々黌は罪作りなことをしてくれた。

九州

その中で2年連続ベスト4進出(2年連続コールド負けは成長してないとマイナス評価もあったが)、地下1回戦から登場で3勝、3試合連続完封勝ちの創成館が一番有利と言われた。
決勝で負けた済々黌に0-8の完封コールド負けの尚志館に対して、優勝した沖縄尚学に1-8と1点取ってる創成館は、少なくとも尚志館を上回ることは確実。熊本工と宮崎日大の両方に逆転選考されなければ選出は確定で、尚志館が選出で創成館が落選という選考はよほどのことがない限りないだろう。
尚志館はまず創成館を上回る要素がまったくない上、準々決勝までの試合内容もよくなく、戦績ではベスト4進出以外のアドバンテージはなく不利だと言われた。
熊本工は優勝した沖縄尚学に延長戦にもつれる善戦、さらに準優勝の済々黌に熊本大会決勝で勝っていることから創成館の次に有利。だが同県の済々黌がいるため地域性では不利。
宮崎日大は失点は少なかったが2安打完封負け。ただ尚志館より善戦し、熊本工より地域性で優位に立つ。
ということで◎創成館 ○熊本工 ▲宮崎日大 △尚志館、といったとこか。果たして四つ巴の争いの結末は。

選考結果:沖縄尚学、済々黌、創成館、尚志館  補欠:熊本工、宮崎日大

ベスト4がそのまま選ばれた。コールド負けの影響はなしか。準決勝2試合がダブルコールドだとどちらも選出で逆転選考なしという新しい法則ができたのか?

実際は宮崎日大は尚志館より点差は小さいが0-3の2安打完封負けで点差以上の完敗だったこと、前年も宮崎県勢が準々決勝敗退から逆転選考されながらセンバツで0-8と大敗したことがマイナスになり、逆転選考には至らなかったのではないか。
熊本工は上記のように済々黌と熊本2校になることの地域性が影響。ベスト4に同県2校が進出したらコールド負けしない限りどちらも選出されるが、片方がベスト4以上、片方がベスト8止まりの場合は地域性を抑えての逆転選考はないのだと推測。
まあ2000年みたいにベスト4に福岡の学校がいるのにベスト8から福岡の学校が逆転選考されたことはあるが、福岡は特別ということで。
今回はベスト4がすんなり選ばれたが、次に準決勝がダブルコールドになるのは何年後かわからないが、その場合はまた違った選考になると思われる。

この選考結果のオチ。九州大会準決勝・決勝を圧勝で優勝し、優勝候補の1つにもあげられた沖縄尚学は、選抜初戦で初回からエラーを連発し2-11で敦賀気比にまさかの大敗。
一方九州大会準決勝で済々黌にコールド負けし、選出は厳しいと言われた尚志館は9回に2点をあげて2-1で大和広陵に逆転勝ちし、甲子園1勝をあげるという秋や前評判とは真逆の結果になった。
その他済々黌は名門常総学院に2-0の完封勝ちで初戦突破。2年連続九州大会準決勝コールド負けを乗り越えて出場した創成館は仙台育英に序盤5失点し、2-7で完敗した。

秋季九州大会準決勝コールド負け校一覧(1980年~)

校名スコア当落 逆転選出校備考
1983年 沖縄水産(沖縄1位) 0-7都城(7回コールド) ×落選 佐賀商(0-1都城)
1986年 波佐見(長崎3位) 1-8海星(7回コールド) ×落選 日向学院(5-6海星) 波佐見は1回戦登場
海星との地域性影響
1987年 都城商(宮崎1位) 4-13熊本工(7回コールド) ×落選 柳川(1-3熊本工)
1990年 延岡学園(宮崎1位) 1-9瓊浦(7回コールド) ×落選 福岡大大濠(5-8沖縄水産)
1994年 津久見(大分2位) 0-9城北(7回コールド) ×落選 藤蔭(5-7熊本工)(延長12回) 藤蔭は県1位、津久見は県2位
1997年 東筑(北福岡1位) 0-10沖縄水産(5回コールド) ◯選出 記念大会で九州5枠
1999年 城北(熊本1位) 0-8柳川(7回コールド) ×落選 戸畑(0-6九州学院)
2000年 鳥栖(佐賀1位) 0-7東福岡(7回コールド) ◯選出
2001年 長崎南山(長崎2位) 4-11九州学院(8回コールド) ×落選 福岡工大城東(0-1x延岡工)
2002年 佐賀東(佐賀1位) 0-7延岡学園(7回コールド) ×落選 柳川(3-5延岡学園)
2004年 戸畑(福岡1位) 3-10沖縄尚学(7回コールド) ◯選出 神宮枠で九州5枠
2011年 創成館(長崎1位) 0-9九州学院(7回コールド) ×落選 宮崎西(0-2九州学院)
2012年 創成館(長崎3位) 1-8沖縄尚学(7回コールド) ◯選出
2012年 尚志館(鹿児島2位) 0-8済々黌(7回コールド) ◯選出
2014年 九産大九州(福岡1位) 2-9九州学院(7回コールド) ◯選出

昭和中期編

選抜は1924年から開始されたが、その選考資料として秋季大会が開始されたのは戦後から。つまり戦前は秋季大会がなく選抜出場校を選出していた。どういう選考基準だったかは不明である。 また昭和中期までは必ずしも秋季大会の成績上位校が選出されていたわけではなく、品位や学校の知名度なども左右していて、現在たまにある「逆転選考」が当時は当たり前のように行われていた。直接対決で勝った方が選出、負けた方が落選も珍しくなかった。 秋季大会黎明期の戦後直後、近畿では秋季大会の成績通り選ばれることのほうがまったくなかった。

戦後の選抜選考 近畿(1948~1955年)

1948年秋季近畿大会
決勝大鉄4-3滝川
準決勝大鉄4-3海南 滝川7-2彦根東
1回戦大鉄7-0郡山 海南4-1平安 滝川3-2武生 彦根東10-1四日市実

1948年秋季大阪大会
決勝大鉄7-0北野

1948年秋季兵庫大会
決勝滝川7-0兵庫
準決勝滝川1-0尼崎 兵庫4-0芦屋

この年は三重と福井が近畿大会に出場していた。当時は各地区の出場枠は固定されていなかったが、出場校が16校しかなかった当時でも近畿は6枠くらいあった。
普通ならベスト4に進出した4校と、準々決勝敗退校の一部になるのだが、当時はそんな単純ではない。

選考結果:大鉄、海南、平安、北野、兵庫、芦屋、桐蔭

なんと前年より1校増えて7枠になった上、北野、兵庫、芦屋、桐蔭と近畿大会不出場の学校が4校も選出(しかもすべて伝統公立進学校)。一方で滝川は近畿大会で準優勝したのに選ばれなかった。
ちなみにこの1949年の選抜で北野は優勝している。大阪の高校野球ファンでも北野が甲子園優勝経験があると言うと驚くほどだが、その裏にはこんな逆転選考もあったのだ。
他の地区ではこのころから秋季大会の成績を重視していたが、近畿ではこのころは成績以外の「何か」も選考対象になっていたようだ。おそらく品位も重視され、この年の4校のように伝統公立進学校は府県大会敗退でも選出されていたのだろう。
だがその翌年の選考は公立進学校が必ずしも選出されるわけではないという結果になる。


1949年秋季近畿大会
決勝彦根8-3洛陽
準決勝彦根6-5鳴尾 洛陽2-1明石
準々決勝彦根2-0奈良 鳴尾4-1海南 洛陽7-6滝川 明石6-4三国丘

この年は兵庫が開催県で3校が近畿大会に出場し、そのうち鳴尾と明石の2校がベスト4に進出。西宮市・阪神電車を挟んで甲子園のすぐ近くにある鳴尾は近くて遠かった甲子園初出場がかかる。
県内トップクラスというほどではないが中堅進学校で甲子園にお膝元鳴尾と、戦前に2年連続選抜準優勝、中京商との延長25回の激闘で有名な明石ならこの成績で選ばれない理由がないだろう。しかし・・・

選考結果:彦根、洛陽、海南、北野、市岡、兵庫工、県尼崎(赤字は近畿大会不出場校)

なんと兵庫から近畿大会に出場した3校がすべて落選。そして兵庫からは県大会敗退の兵庫工と県尼崎が選出。
県尼崎は当時は偏差値の高い学校だったそうだが、兵庫工はヤンチャ工業高校。近畿大会でベスト4に進出した地元西宮市の進学校と古豪を差し置いてなぜこの2校?
鳴尾と明石がなんか不祥事でも起こしたのか、詳細は不明である。単に秋季大会の成績を無視して独自に選びたかったなどという説も。結局鳴尾は謎の逆転落選で甲子園初出場を逃した。

また大阪も近畿大会不出場の2校が選出、特に北野は2年連続府大会敗退で選出だ。大阪ナンバー1の公立進学校北野はこのころ早稲田実や小倉に匹敵する優遇選考を受けていた。 その翌年・・・


1950年秋季近畿大会
決勝平安3-1中央八幡
準決勝平安1-0新宮 中央八幡7-1扇町商
準々決勝平安9-0奈良 新宮6-2高田 中央八幡2-1長田 扇町商5-0帝塚山

選考結果:平安、中央八幡、新宮、扇町商、鳴尾

前年近畿大会好成績ながら逆転選考で落選した鳴尾が今度は県大会敗退からの選出。前年の借りを返したのか?あるいは当時は秋季大会だけでなく1~2年間の成績を考慮してたのか?
この年は近畿の選出校が5校に減ったが、鳴尾以外は近畿大会ベスト4がそのまま選出されてこれまでよりは秋季大会の成績を重視した選出になった。
だが兵庫から近畿大会に出場した県内トップレベルの進学校長田はスルーされた。長田は2016年に和歌山枠確保のための理由付けのために21世紀枠に選出されたが、その65年後まで甲子園初出場はおあずけとなった。
ともかく1年越しで悲願の甲子園初出場を果たした鳴尾は、選抜で初出場ながら準優勝を果たした。


1951年秋季近畿大会
決勝芦屋3-1八尾
準決勝芦屋13-1田辺 八尾2-1平安
準々決勝芦屋4-3大津 田辺6-0高田 八尾2-0新宮 平安7-0南部

選考結果:芦屋、八尾、平安、北野、鳴尾、海南

北野が2年ぶり、鳴尾が2年連続でまたも府県大会敗退から選出。大阪ナンバー1の進学校北野はこれで3度目の近畿大会不出場からの選出(ていうかこれまで秋季近畿大会に1度も出場したことがない)。
その後も近畿では1955年(1954年近畿大会)まで毎年府県大会で敗退し近畿大会に出場できなかった学校が必ず選出されていた。1955年に近畿大会出場校が12校に拡大したのをきっかけに1956年に初めて近畿の出場校が近畿大会出場校で揃い、1958年以降はほぼ近畿大会の上位進出校が選ばれるようになった。
ちなみに1949年(1948年近畿大会)から1953年(1952年近畿大会)までの間、近畿大会初戦敗退で選ばれたのは1950年の海南と1953年の彦根東だけだった。当時は近畿大会に出場して初戦敗退した学校より近畿大会に出場しなかった学校のほうが選抜で戦えると判断されたのだろうか。

戦後の選抜選考 東海(1950~1958年)

秋季大会黎明期は理不尽選考の嵐だったのは近畿だけではなかった。といっても近畿以外はたいてい秋季大会の結果を重視していたわけだが、現在のような完全な成績順とはいかず「逆転選考」が当たり前のように行われていた。

1949年秋季中部大会
決勝静岡一4-0岡崎

東海大会は当時は中部大会と呼んでいた。近畿で好成績をあげた兵庫3校がすべて落選する理不尽選考があったのと同じ年、中部でも大幅な逆転選考があった。
中部大会で優勝したのは旧制静岡中の静岡一。優勝したのだから本来なら文句なしの当確である。ましてや旧制中学の伝統公立進学校。落とす理由がない。
だが準優勝の岡崎も愛知屈指の公立進学校。そして当時はのちの近畿の大阪・兵庫枠や九州の福岡枠のように、東海では大都市の愛知が優遇される傾向があった。その結果・・・

選考結果:岡崎、岐阜商

優勝した静岡一が落選、決勝で負けた岡崎が選出キター。
直接対決で勝ったほうが落選、負けたほうが選出、それを伝統公立進学校が食らうとは・・・。旧制中学でも愛知の政治力には勝てなかった。
そしてなぜか岐阜大会準決勝敗退で東海大会不出場の岐阜商が選出。選出理由は不明(戦前の強豪であることが優遇されたか?)。その翌年・・・


1950年秋季中部大会
決勝長良3-1静岡商(県2位)
準決勝長良6x-5静岡城内(県1位)
(延長19回)
静岡商3-2大垣北
準々決勝長良4-3中京商 静岡城内3-2宇治山田 静岡商4-0豊橋東 大垣北4-0桑名

昨年優勝しながら落選した静岡一が校名を静岡城内に変えて2年連続で中部大会ベスト4に進出するも、準決勝で長良に延長19回の死闘の末サヨナラ負けした。
決勝戦は2点差の僅差。普通なら決勝に進出した長良と静岡商が妥当だが、準決勝で旧制中学の静岡城内が長良と延長19回サヨナラ負けの善戦。本来なら決勝戦が僅差なら準決勝で優勝校にそれ以上の善戦をしても逆転選考はされないが、旧制中学の伝統進学校となれば・・・。
当時は出場枠が固定されておらず、中部から3校もありうる。それなら決勝に進出した2校と静岡城内と思うとこだが、当時は地域性をかなり重視して近畿と大都市以外から1県2校出場はなかった。それに「愛知枠」の存在もある。もし静岡が選ばれたら静岡商は落ちるのか?

選考結果:長良、静岡城内、中京商

準決勝延長19回サヨナラの静岡城内が逆転選考キター!さらに「愛知枠」で名門中京商が3校目に。
3枠あるのに準優勝の静岡商が落選。しかも直接対決で中京商に勝ってるのに・・・。ともかく静岡城内が昨年のリベンジを果たした。
まあこの程度の逆転選考当時は序の口。その翌年・・・


1951年秋季中部大会
決勝静岡商(県1位)4-0静岡城内(県2位)
準決勝静岡商4-3豊川(県2位) 静岡城内9-2豊橋時習館(県1位)
準々決勝静岡商4-1岐阜工 豊川5-0宇治山田商工 静岡城内6-4大垣北 豊橋時習館4-2宇治山田

前年逆転選考で選ばれた&落ちた因縁の静岡城内と静岡商が決勝で対戦。見事静岡商がリベンジを果たした。静岡大会でも静岡商が勝って優勝しており静岡城内に2連勝。
普通なら決勝に進出した2校。だが当時は地域性がかなり重視されており、近畿以外はもし決勝戦が同県対決なら準優勝校が落選していた(だが愛知だけは優遇されていて、戦前には1県3校や4校出場もあった)。
しかも準決勝にはあの愛知勢が2校も進出していた。準優勝した旧制中学が地域性で落ちるのか?まさか2年連続静岡商を逆転選考で押しのけるのか(今度は直接対決で2連勝して静岡商が優勝してるのに)。
もし地域性による逆転選考があるなら準決勝で優勝した静岡商に1点差で惜敗した豊川か?しかし気になるのは旧制愛知四中の豊橋時習館。愛知大会決勝では豊川に勝って県1位になっている。

選考結果:静岡商、豊橋時習館

準優勝の旧制中学の静岡城内が落ちたー!そして代わって2校目に選ばれたのは直接対決で静岡城内に負けた豊橋時習館。旧制静岡中、2年前に続いて再び愛知の政治力に沈む・・・。
地域性を考慮した結果、準決勝で直接対決で負けたほうが選ばれ勝ったほうが落ちた選考はこの20年後、1979年に東北でもあった(上記参照)。
準決勝で惜敗した豊川にとっても納得できない選考。豊川はその4年後にも・・・


1955年秋季中部大会
決勝浜松商5-4岐阜商
準決勝浜松商2-1豊川 岐阜商6-2宇治山田
準々決勝浜松商4-3多治見工 豊川2-0宇治山田商工 岐阜商3-1中京商 宇治山田2-0市沼津

中部から2枠なら決勝に進出した浜松商と岐阜商。ただ「愛知枠」があるから準決勝で優勝した浜松商に惜敗した豊川も3校目で選出されるか。この成績なら問題ない

選考結果:浜松商、岐阜商、中京商

なんと3校目は豊川ではなく準々決勝敗退の中京商。自身の成績、負けた相手の成績、点差とも豊川のほうが上なのに。豊川はその後もあと一歩のとこで何度も甲子園出場を逃し、悲願の初出場を果たしたのはそれから58年後の2014年春になるのであった。


1957年秋季中部大会
決勝中京商5-0清水東
準決勝中京商9-1宇治山田商工 清水東2-1享栄商
準々決勝中京商3-1静岡商 宇治山田商工3-0岐阜工 清水東5-1伊勢 享栄商2-1多治見工

近畿も成績を重視し始めた1958年、30回の記念大会で中部の出場枠は3枠が濃厚。となれば中京商、清水東、享栄商で決まりだろう。地域性も愛知から2校は何度もあり問題なし。もし地域性が考慮されるなら、三重から出場がないので宇治山田商工か。

選考結果:中京商、清水東、多治見工

・・・えー!初戦で享栄商に負けた多治見工?享栄商はヤンチャ私立だから品位で落とされたか。
しかし直接対決で勝ったほうが落選、負けたほうが選出の逆転選考を当時絶大な政治力を誇った愛知が食らうことになるとは。近畿が無難な選考をするようになった年に思わぬ逆転選考であった。

戦後の選抜選考 中国(1949年~1955年)

1949年秋季中国大会
決勝米子東5-0鳥取西
準決勝米子東4-2境 鳥取西8-0倉吉
準々決勝米子東1-0盈進商 鳥取西2-0松江 境2-1柳井 倉吉1-0倉敷老松

1949年秋季山口大会
決勝萩北4-2光
準決勝萩北2-1山口東 光8-7宇部北

戦後直後の秋季大会黎明期、秋季中国大会は中国地区の一部の秋季県大会の前に行われていた。そのため1949年は秋季中国大会後に県大会が行われた岡山と山口は優勝した関西と萩北ではなく、倉敷老松(現倉敷工)と柳井が中国大会に出場したという今では考えられないことがあった。なぜ中国大会の岡山代表と山口代表にこの両校が選ばれたかは詳細は不明だが、1949年夏の県大会で優勝し、甲子園に出場したことではないかと推測できる(このことは高校野球大百科の管理者さんが調べてくれた。詳細はこちらに掲載している)。
広島・鳥取・島根は中国大会の前に県大会が行われたため、優勝校や上位校が中国大会に出場している。この年の開催県である鳥取は4校が中国大会出場。するとなんと鳥取4校が初戦全勝。ベスト4を鳥取県勢が独占した。現在では考えられない事態で、もし現代で同一都道府県がベスト4を独占したら2校ルールがあるだけに現在でも選考で揉めそうだ。
中国の出場枠は1枠。現在の方式なら優勝した米子東が選ばれるのが妥当だが、何しろ当時は岡山と山口は優勝校を中国大会に送れなかったわけだからそうはいかなかった。

選考結果:萩北 補欠:下関西

なんと米子東だけでなく鳥取勢すべて、そして中国大会出場校のすべてが補欠にも選ばれず落選。
そして選出されたのは山口大会で優勝しながら中国大会が終了していたため不出場だった萩北。そして補欠は同じ山口でベスト4にも進出できなかった下関西。まあ一部の県は県大会の優勝校を代表校に送れなかった状態なので仕方ないか。

山陰は明治・大正時代は野球どころで、1915年の選手権第1回大会では山陰の鳥取と島根だけで単独枠が与えられるなど優遇されていた。
21世紀に入った現代でも島根が全国最多4回の21世紀枠に選出されたり、2015年の米子北が山陰という理由で選ばれるなど優遇される傾向があるが、戦後直後はこの選考からもわかるように、山陰勢は選抜選考において非常に冷遇されていた。


1951年秋季中国大会
決勝広島観音8-2出雲産
準決勝広島観音2-0下関商 出雲産2-1米子東

中国の出場枠は2枠が有力。出雲産が中国大会決勝に進出したが・・・

選考結果:広島観音、下関商

準決勝敗退の下関商にあっさり逆転選考を食らう。点差的には仕方ない選考ではあるが。その翌年・・・


1952年秋季中国大会
決勝柳井3-2米子西
準決勝柳井8-0広島観音 米子西6-1呉三津田

米子西が決勝に進出し、決勝でも1点差の惜敗。前年までと同じ中国2枠なら今度は文句なしで選出される成績だ。準決勝敗退の広島観音は大差で負けた。逆転選考の余地はない。しかし・・・

選考結果:柳井

なんとこの年は中国は1校に減らされ優勝した柳井のみの選出に。当時は出場枠が固定されておらず、選考日まで何校が選ばれるかはわからなかった。
山陰を出したくないために中国の枠を減らされたのか。一方でこの年は近畿は8枠に増やされている(近畿大会不出場校が3校選出)。


1954年秋季中国大会
決勝米子南1-0防府
準決勝米子南5-4倉吉東 防府1-0境

1949年の米子東以来5年ぶりに鳥取勢が中国大会優勝。1950年から1954年まで中国大会優勝校はすべて選ばれている。今度こそ文句なしで米子南が選ばれるはずだ。だが防府は山口有数の進学校である。まさかとは思うが選考結果・・・

選考結果:防府

なんと優勝した米子南は落選し、決勝で負けた防府が選出。

選考理由:「米子南は中国大会で優勝したが、防府と比較した結果、防府のほうが実力が優れており、また山陰と山陽では今後の練習量も山陽のほうができるというので、ここに防府の出場が決まった。」

直接対決で勝ったのに実力は防府のほうが上(キリッ)。しかも山陽のほうが練習できるからとか、もはや山陰は選ばないと言わんばかりの選考理由に。
5年ぶりに中国大会優勝校が落選。その5年前も鳥取の米子東だった。
結局1940・1950年代は鳥取県勢は2度の優勝など何度も中国大会上位進出がありながら1度も選抜に選ばれなかった(1960年に米子東が25年ぶり・戦後初の選抜出場)。島根県勢は戦後直後の選抜出場は1947年の松江中と1951年の浜田のみだった。

冷遇されていた寒冷地

上記で山陰地区が選考でよく冷遇されてたことを述べたように、この当時は北海道・東北・北信越といった寒冷地は選考において冷遇されていた。
北信越は1947年と1948年は1校選出されたが、1949年から1951年は3年連続で選出校ゼロ。1948年秋は北信越大会が行われず、新潟・富山・石川は東海地区とともに中部大会、三重と福井は近畿大会に参加するという変則的な地区分けだった。

1949年秋季北信越大会
決勝
:長野北6-5松商学園

長野北が長野対決の決勝戦を制し北信越大会優勝。しかし北信越からは1校も選出されず、長野北は補欠に回った。その翌年・・・

1950年秋季北信越大会
決勝
:長野北2-0新発田

長野北が秋季北信越大会連覇。だがまたしても選出されず補欠止まり。地区大会で2年連続優勝したのに2年連続落選したのはこの長野北が史上唯一である。
その翌年は松商学園が優勝し北信越代表として選出。4年ぶりにようやく北信越から選抜に選ばれ、その後は毎年北信越に出場枠が与えられるようになったが、長野北にとってはなんとも不運な結果であった。長野北はその後甲子園には届かず、現在でも1度も甲子園出場を果たしていない。
だが出場枠が与えられなかったのが戦後は3年間だけの北信越はまだマシで、北海道と東北は戦後6年以上、選抜大会開始から四半世紀以上も選考から除外されていた。


秋季北海道大会決勝
優勝
準優勝
1948年 函館工 1-0 小樽商
1949年 函館市立 5-1 帯広
1950年 函館東 3-2 北海
1951年 函館西 9-4 苫小牧工
1952年 北海 8-1 函館西
1953年 北海 1-0 旭川東
金色が選出校

戦前の北海道からの選抜出場校は1938年の北海中1校のみ。
秋季北海道大会黎明期は函館勢が強く、1948年から1951年まで4年連続で函館支部が北海道大会優勝。だが1950年(選抜は1951年)まで北海道から選ばれず、1951年(選抜は1952年)の函館西が戦後初、1938年の北海中以来14年ぶりに北海道に出場枠が与えられた。
そして北海道よりさらに冷遇されていたのが東北である。

秋季東北大会決勝
優勝
準優勝
1949年 福島商 5-4 山形二
1950年 福島商 2-0 盛岡
1951年 秋田南 4-0 岩手
1952年 気仙沼 5-2 秋田南
1953年 秋田商 4-2 福島
1954年 一関一 8-4 盛岡商
金色が選出校 水色は補欠校

戦前は東北からは1校も選抜に選出されず、9地区で唯一戦前の選抜出場なし。戦後も10年近く選考から除外され、1955年にようやく東北に出場枠が与えられ、1954年東北大会優勝の一関一が東北初の選抜出場校となった。
東北地区は現在でも9地区で唯一春夏通じて甲子園優勝がないが、選抜初出場も9地区で最も遅かったのだ。

選抜優勝投手ゴリ推し選出事件(1964年 下関商)

1963年秋季中国大会
決勝倉敷工7-6尾道商
準決勝倉敷工7-2浜田 尾道商10-0津山商
準々決勝倉敷工4-3下関商 浜田4-1北川工 尾道商9-0米子工 津山商5-2早鞆

東京オリンピックを翌年に控えた1963年。下関商の池永正明投手は2年生で1963年春の選抜で優勝。夏も決勝まで進出し、惜しくも史上初の春夏連覇はならなかったが2年生で春優勝、夏準優勝という成績を残した。
3季連続の甲子園決勝進出と選抜連覇を目指して挑んだ秋季中国大会だったが、池永が指を痛めていたことと捕手が怪我で出場できなかったことが影響して、初戦となる準々決勝で倉敷工に1点差で敗れてしまう。
中国の出場枠は3枠。本来なら3校目は準決勝敗退の2校から選ばれる。スコア的には浜田が有力だが、高野連は集客力のある池永をなんとしても選抜に出したい。
その追い風にもなるように下関商に勝った倉敷工が優勝。準決勝2試合がともに点差が開いたことから3校目はなんとか狙える位置に。いや津山商はともかく浜田はコールド負けしたわけじゃないんだが普通に浜田でいいのに。結果は・・・

選考結果:倉敷工、下関商、尾道商

準優勝の尾道商をも差し置いて2番目で選出。実際新聞では準々決勝敗退なのに3枠目どころか2枠目での選出が有力と言われるほどに。

選出理由:「昨年のセンバツ、国体に優勝、夏の大会に準優勝したキャリアがものをいい、1回戦に敗れたとはいえ総合力は高校野球界ではかなり高い。また試合当時は池永が指を痛め、疲労が重なっていたこと、秋田捕手がやはり怪我でマスクをかぶれなかったことなど最悪の状態にあったことも割引した。」

エースと正捕手が怪我で出場できない最悪の状態だったから選出(キリッ)。スポーツの世界で怪我なんてつきもので、そんな言い訳での温情選出は通らないわけだが。
もし中国の出場枠が2枠だったら準優勝の尾道商を蹴落として下関商が選出されていたのだろうか?世間まで味方につけて選出されたが、現代でこんな大物選手への依怙贔屓丸出しの理不尽選考をしたらネット上で大炎上間違いなしだろう。

参考

2004年秋季四国大会
決勝新田7-4西条
準決勝新田7-0三本松(7回コールド) 西条4-3済美(延長11回)
準々決勝新田4-3高松商 三本松2-1小松島 西条15-1土佐(5回コールド) 済美5-4明徳義塾
1回戦新田5-1生光学園 三本松1-0高知商 土佐5-3鳴門工 済美8-0高松(8回コールド)

1963年の下関商と同じく2年生エース福井優也を擁して春優勝、夏準優勝という結果を出した2004年の済美。 福井が残って夏の甲子園直後の秋季大会、愛媛3位での四国大会出場となったが、準々決勝で2001年夏から7季連続の甲子園出場中だった明徳義塾に9回2点差から逆転勝ちし、明徳の8季連続出場を阻止した。愛媛県勢が強さを見せ、ベスト4のうち3校を愛媛県勢が独占した。
済美は準決勝で西条に延長戦の末惜敗。決勝進出2校がどちらも愛媛県勢となったため、1都道府県から2校までしか選出できないルールにより連覇を狙った選抜出場は絶望になってしまった。
決勝が愛媛2校にならなければ四国3校目として中国3校目と中四国の最終枠を争い、さらには当時存在した希望枠に選出される可能性もあったとこだが、地域性によりそれもなくなった。四国3校目には準決勝でコールド負けした三本松が選ばれた。済美が2校ルールに引っかからなければよくて4校目だった学校だろう。
皮肉なことに希望枠に選ばれたのはその三本松であった。さらに21世紀枠には済美が四国大会初戦で8-0で8回コールド勝ちしていた高松が選ばれた。41年前の下関商とは対照的に済美は好成績を残しながら涙を呑んだ。

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